奈教ゼミはなぜ数学授業の柱に教科書を据えるのか
奈良教育ゼミナールでは、数学の授業において、教科書を大切にして授業を進めます。
教科書の順序で一つずつ学ぶと、「なぜそうなるのか」を飛ばして先へ進むことができないからです。
公式や決まりがなぜ成り立つのかを先生が黒板で一方的に説明し、**「だからy=ax+bのaがグラフの傾きです。覚えましょう。」**とまとめるだけなら、授業はいくらでも先へ進められます。
教科書は、公式や決まりを最初から与えるのではなく、生徒自身が手と頭を動かしながら、「なぜそうなるのか」にたどり着くように構成されています。だから、教科書を使う以上、「覚えましょう」では逃げられません。
生徒自身が手と頭を動かし、「だから、こうなるのか」と自分でたどり着く。その過程を省略することはできません。
この教え方は、「覚えましょう」で済ませるより、ずっと難しいものです。
考える時間を取りすぎれば授業のリズムが崩れ、退屈になってしまいます。反対に、教師が答えを言いすぎれば、生徒が自分で考える機会を奪ってしまいます。
どこまで教師が導き、どこから生徒自身に考えさせるのか。
その加減を取りながら、生徒が一つの考え方にたどり着くところまで授業を組み立てる。私は、そこに時間を使います。
公式を知っているだけではなく、「なぜそうなるのか」が分かる。一つひとつの内容をそうやって理解していくことが、その先の数学を理解する土台になります。
だから、あえて教科書。だから、あえて速く進みすぎない。