授業を速く進めすぎると、なぜ「分からない」が残るのか
当塾は学校の1.5から2倍の速さで授業を進めます。十分、速い。
しかし、一般的な集団進学塾の中には、さらに速いペースで授業を進める塾もたくさんあります。
実際、他の進学塾から奈良教育ゼミナールへ転塾してきた生徒を見ると、私たちがまだ教えていない単元を、すでにずっと先まで習っていることがあります。
ところが、その単元の問題を解かせてみると、ほとんど解けないことがあります。
不思議なのは、そうした生徒でも、学校の成績では「3」や「4」を取っていることです。
おそらく、進学塾で最初に習ったときには十分に理解できていなくても、その後、学校の授業でもう一度ゆっくり習い、さらに定期テスト前にもう一度勉強することで、少しずつ理解できるようになっているのでしょう。
では、最終的に学校のテストで点が取れれば、「結果オーライ」でいいのでしょうか。
私は、そうは考えていません。
せっかく塾で時間をかけて勉強したのに、その内容を十分に理解しないまま、さらに次の単元へ進んでしまう。これは、とてももったいないことだと思います。
先取りは、先へ進んだという事実そのものに価値があるのではありません。
先に学んだことが理解として残り、その理解を土台にして次へ進めるからこそ、先取りには意味があるのだと私は考えています。
もちろん、速い授業についていき、自分で復習して理解を深められる生徒にとっては、大幅な先取り学習には大きなメリットがあります。
しかし、すべての生徒がそうではありません。
「習った」と「分かった」は、同じではありません。
奈良教育ゼミナールが大切にしているのは、どこまで先へ進んだかではなく、今教えていることを、その場でどこまで理解できたかです。
だから私たちは、先取りはしますが、先取りすること自体を目的にはしません。
学校より先へ。
でも、生徒の理解より先へは行かない。